2024年9月
硬い話が続いたので、最近読んだ本の話をしましょう。名古屋大学卒業の整形外科医、篠田達明先生が書いた「秀吉の六本指/龍馬の梅毒」(金原出版)という本です。雑誌「整形・災害外科」に「医療史回り舞台」として連載されたエッセイをまとめたもので、国分正一名誉教授が同雑誌に書かれた連載コラム「整形外科用語の散歩道」同様、入念な下調べをもとに歴史上の人物についての医学的なエピソードが記され興味深いものでした。1992年〜2019年の連載だから2002年〜2018年連載の「整形外科用語の散歩道」と重なっています。こんな面白い読み物が「整形・災害外科」に2つも掲載されていたのに、連載中はいずれも見逃していたことが悔やまれますね。本の中から整形外科に関係したものを紹介します。
難治性の頚椎症性脊髄症を起こすことで、僕たち脊椎外科医を悩ませるアテトーゼ型の脳性麻痺ですが、この病気が語源の四字熟語をご存知ですか?答えは「支離滅裂」。この言葉は「支離琉」というアテトーゼ型脳性麻痺男性の名前に由来するそうです。知りませんでした。
歴史上の人物にはもちろん体の大きな人、小さな人がいますが、中には遺伝性疾患だった人もいるようです。例えば宮本武蔵。言わずとしれた二天一流の剣豪ですが、彼は末端肥大症acromegalyだった可能性があるそうです。また、「甲陽軍鑑」の記載で有名な武田信玄の軍師山本勘助。彼は実在に疑問符がつきますが、記述によれば 130 cmと低身長で、手足が短く跛行だったそうです。軟骨異形成症achondroplasiaや成長ホルモン異常だった可能性が示唆されます。外国人では、フランスの画家トゥールーズ・ロートレックは、東京医科歯科大学整形外科初代教授の青池勇雄先生が世界で最初に発見したpycnodysostosisという近親婚が原因の遺伝病でした。この疾患の特徴は(1)小人症、(2)頭蓋縫合・泉門部開存、(3)上・下顎骨形成不全、(4)全身骨格のX線陰影濃化、(5)易骨折性、(6)指の短縮や骨欠損などで、ロートレックも14歳、15歳と両側の大腿骨骨折を経験しています。第16代アメリカ合衆国大統領で奴隷解放を行ったエイブラハム・リンカーンは、193 cmと高身長でマルファン症候群と考えられていました。1991年に、残された頭部から遺伝子検査を行うことが決められ、実際に行ったそうです。その結果いくつかの結合組織の遺伝子異常が見つましたが、現在それ以上のDNA解析は行われていません。身長とは関係ありませんが、太閤豊臣秀吉は、片方の母指が2本ある多指症だったと、ルイス・フロイスや前田利家が書き残しているそうです。これもまた知りませんでした。
四肢切断術amputationは現在でも閉塞性動脈硬化症や悪性腫瘍、あるいは重度外傷などで行われる手術です。数年前フェローで大学に来たインドネシアの先生は、島嶼部の患者さんは病院がある都市部に船などで来るが、空間的、時間的主には金銭的な問題で、骨折術後に定期的な通院ができない。そのため、現在の日本であれば骨接合術が適応となるような骨折でも切断術を希望することがあると話していました。切断術であれば、創部さえ治れば通院の必要がなくなるからだと説明され、結構ショックを受けました。歴史上の人物にも切断術を受けた人が何人かいます。この本では大村益次郎と大隈重信を取り上げています。
大村益次郎は長州藩士で倒幕司令官でした。ご年配の先生であれば1977年放映のNHK大河ドラマ「花神」の主人公で、中村梅之助が演じていたことを覚えていらっしゃるかもしれません。彼は1869年刺客に襲われ右膝に深い刀傷を受けました。大阪医学校のオランダ医ボードウイン(有名なポンペの後任)は至急の右下肢切断を提案しましたが、さすがお役所仕事。政府高官なので手術には勅許(天皇陛下の許可)が必要とこれを待つうちに2か月が過ぎてしまいます。大腿部で切断しましたが、すぐに創部感染(2か月の待機中に感染していたと考えられます)から敗血症となり死亡しました。大隈重信は言わずとしれた早稲田大学の創始者で、政治家でもありました。余談ですが高校の頃、志望校が決まらない、あるいは言いたくない友人は、「早稲田の医学部が志望です」と言っていました。大隈は外務大臣だった52歳のときに外務省玄関前で爆弾テロにあって右下腿が粉砕し、そのまま外務省庁舎で盆栽台を応急の手術台として切断術を受けます。大隈は切断肢をアルコール漬けにし、自宅で来客に披露したそうです。タフですね。
今年はアメリカ合衆国大統領選挙があります。トランプが返り咲くかカマラ・ハリスが女性・黒人・アジア系初の大統領になるか、だいぶ盛り上がってきたようです。歴代大統領の中にも整形外科疾患で苦しまれた人がいます。第32代、第2次世界大戦時の大統領であったフランクリン・ルーズベルトは39歳でポリオ(脊髄性小児麻痺)を発症し、車椅子生活となったそうです。しかし、数年で回復し、その後ニューヨーク州知事から大統領となって大恐慌時のニューディール政策、あるいは戦時下の大統領として活躍しました。しかし、2003年になってアメリカから彼はポリオではなくギランバレー症候群だったという報告が出されました。髄液検査が行われなかったため、確定診断はついていません。有名なJF・ケネディ第35代大統領は腰痛で苦しんだようです。大学時代にアメリカンフットボールで腰背部を痛めて以来の腰痛持ちで、1941年にはL5/Sの椎間板ヘルニア手術を受けています。Mixter & Barrの最初の手術報告が1934年、Love法のJAMAの報告が1939年ですから、ヘルニアに外科的治療が行われるようになったかなり早い時期に手術を受けていますね。しかし、腰痛は思わしくなかったようで、1954年L5/Sの椎間板変性に対して脊椎固定術が施行されていますが、感染症を生じて金属抜去されています。で結局、腰痛は圧痛点への局所麻酔薬注射が奏効し、良くなったようです。この注射をしたのがJanet G. Travell、国分正一先生が筋硬症に対するトリガーポイント注射のお話をするときに出てくるのと同一人物のようです。彼女はその後ケネディ、リンドン・ジョンソンと2人の大統領の主治医となり、ジョージ・ワシントン大学で教鞭もとったそうです。面白いですね。
相澤 俊峰