2024年8月13日
来年の人事を考え始めました。人事は歴代の教授を大いに悩ませてきた仕事の一つです。同窓会誌を読むと人事をやりたくない、という文章を数多く目にします。例えば第2代の飯野三郎先生は同窓会誌第7号で「もう来年は定年という私に、今までで一番つらかったことといえば、やはり、人事問題であった。」と書いていますし、第3代の若松英吉先生は「在任中、人事はもっとも嫌いなものの一つでした。」と同第19号に記しています。現在は僕がNPOとうほく整形外科の人事交流調整者という立場で、いわゆる医局人事を担当させてもらっていますが、やはり難しい、つらい、頭を悩ませる仕事の一つです。医師個人、関連病院、大学医局が全て幸せになるようなwin-win-winな人事を目指すわけですが、そんなにうまく人事が組めるわけはありません。僕は僕なりに、東北大学の診療圏の整形外科医療レベルの均等化と向上、医局員や同窓会員および関連病院の希望、そして医局員や同窓会員のスキルアップを考えに考えて、教授就任以来毎年人事を行ってきました。しかし、行きたくない(かもしれない)病院に赴任していただいたり、戻りたくない(かもしれない)大学に来ていただいたり、と不満に思っている先生方もたくさんいらっしゃると思います。そのような先生にはこの場をお借りしてお詫び申し上げます。
過去の教授たちの人事をみると、飯野先生は東北六県に整形外科をもつ病院が殆どなかったことから、東北地方に整形外科医を積極的に派遣し、数年で60近い関連病院(多くは1人科長)を作りました。そのため飯野先生曰く「ワンマン的人事」を春(新緑人事)と冬(木枯人事)に行いました。夜11時半ころから教授室で模造紙に人事異動の配線図を夜中までかかって書き上げ、教授室前の廊下に貼り出しました。1週間異議申立ができましたが、在任中変更を希望した先生は1人もいなかったそうです。若松先生は、大学では今は当たり前の専門外来を脊椎、股関節、神経筋、リウマチで始められ、また大きく広げた関連病院を縮小する方向にしたようです。第4代の櫻井 實先生の時代に日整会の認定医(今の専門医)制度が始まりました(暫定措置はその前ですが、昭和63年から現在と同様の試験制になりました)。認定医の受験資格に指定認定施設での研修があり人事にも影響しました。第5代の国分正一先生のときに大学院大学が始まります。関連病院の拡大発展に加え、大学院を含めた教室そのものを充実させるように舵を切ります。1人科長の病院をなくすような人事を行ったのもこの時代です。そして前任の井樋栄二先生のときには、スタッフ会議で人事を相談して決めていました。いずれの教授も非常にご苦労されていたのが伺えます。さらに2004年に臨床研修制度(初期研修)、2018年に専門研修制度(後期研修)が始まり、研修医が自由に研修先を選べるようになりました。このため、大学医局に入らない医師が増え、医師及び医局の人事に関する考え方も随分変わったように思います。今の時代に飯野先生のような「ワンマン的人事」を行えば、変更を希望する先生も結構いるでしょう。
さて、同窓会誌の第7号に面白い特集が組んであります。題して「特集:これからの医師の人事について」。飯野三郎先生のほか、当時信州大学整形外科助教授だった棈松紀雄先生、後に塩釜で開業される柴田尚一先生が医局人事について書いています。飯野先生は人事が嫌で嫌でたまらなかったことは前述しましたが(まあ歴代教授皆さんそうだと思いますが)、このように書いています。「元々、大学は研究とそれに付随した教育を主とするところであり、口入れ稼業などに精出すところではないことは、世界中どこを見ても、また日本でも他の学科のどれを見ても、また見なくて考えてみても当然すぎることである。それが日本の医界だけが、封建的といわれたり、権力主義といわれたりしながら、こうした腹立たしい三義的、四義的な業務に腐心しなければならないことは、やはり日本の医育・医療制度の後進性を物語る何ものでもないと思わざるを得ない。」この号が書かれた1970年当時、各地の大学医学部で人事問題も絡んだ民主化運動が起こったそうで、棈松先生は信州大学での「生化学教室人事問題」の経験から人事に関して3つの方法を列挙しています。すなわち(1)教授を中心に2~3人で全てを運営する方法、(2)人事委員会を設けて調整する方法、(3)教室はタッチせず、各人が自由に病院と交渉する方法、です。(2)が合理的と思いましたが、実際にこれを行うと、就職する個人がいい加減な場合、その責任が教室に帰結し、個人、教室、病院ともにマイナス面が多かったと述べ、将来的には(3)が採用されると予想しています。現在の一部の状況に近く、先見の明があったと言えるでしょう。
柴田先生は人事の3原則、(1)個人の人権、意思、技術の尊重、(2)人事の基本路線の明示、(3)人事の責任の所在の明確化、を示しています。その上で大学の人事は学問優先で教授、准教授が行い、市中病院人事は大学人事とは切り離し、各入局年度代表等からなる人事委員会で行うべし、としました。大学人事と市中病院人事は密接に関係していますから、後半部分は実際には難しいと思いますが、前半の3原則は、なるほどと思います。現在は(1)のために医局員、同窓会の若手中堅と年1回の面談を行っています。今年も70人以上の先生と面談して、希望などを伺いました。(2)の基本路線は、何度も言っているように次の通りです。まず、大学院卒業者はサブスペシャリティの希望によってhigh volume centerで2年程度研修し、その後市中病院で更に研鑽します。大学院に行かない先生は、専門医取得後1-2箇所の市中病院で研鑽し、自身のサブスペシャリティを決めます。その後希望によりhigh volume centerで2年程度研修します。いずれもhigh volume centerの後は希望や技能などに応じて、大学に戻る選択肢を含め相談します。サブスペシャリティを最初に学ぶためのhigh volume centerのポジションは2年を原則として回していく、ということをご理解ください。もちろん、骨折を中心に広く研鑽したいという先生もいるでしょうし、地方病院に勤めたい、という先生もいるでしょう。面談等でご相談ください。また、開業を考えている先生は、入局した以上教室には整形外科医として一人前に育て上げる義務があると思います。人様の人生に干渉するわけではありませんが、整形外科医として一人前になるには専門医取得後10年、大体40歳くらいが目安になろうかと思います。開業を希望される先生は、なるべくその2年前までには意思表示してください。よろしくお願いいたします。(3)の人事の責任の所在ですが、これは人事交流調整者である教室の主任教授にあることは言うまでもありません。
医局が普通の会社で、大学が本店、関連病院が支店や総務課や人事課などであれば、医局人事は転勤や配属替えと同じで、ドラマでよくあるような掲示板に「右の者、○月×日より○○病院勤務を命ず」みたいで済むのでしょうが、医師の場合そうもいきません。それは棈松先生も書かれているように「医師が独立能力を有し、かつ自己規制にのみその人間性の向上をまかされている、いわば特殊な人間の集団」だからです。人事は医局で行い、一方給料は働いている病院から支払われる、しかもその気になれば人事外でも生活に困らない、という普通の会社組織ではありえない人たちが主体となっているのが医局であり、病院です。しかし、だから何をやってもよいのではなく、できる範囲で良いから、社会や患者さんに役立つことを行う使命が医師にはあるのです。その使命感が医師を医師たらしめていることを、僕たちは忘れてはいけません。
これから医師個人、関連病院、大学医局がwin-win-winになるような人事案をひねり出したいと思います。無理かなあ?
相澤 俊峰