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医局説明会・2025年度専門研修プログラムのご案内

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留学だより・海外の活動

英国 Southampton University 留学

大野木孝嘉(2009年卒)

みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は現在英国のサウサンプトン大学に留学しております。英国では3ヶ月ほど前にチャールズ2世の戴冠式が盛大に執り行われました。ものすごいお祭りムードという訳ではありませんが、ちらほらと英国国旗を掲げている家や車もあり、休日が増えるなど生活に変化がありました。しかし円安は変わらず、むしろ益々悪くなっており、さらに英国全体の光熱費の引き上げなどの影響もあり生活が苦しいのは変わりありません。先日、Nature Medicine誌に間欠的な断食がカロリー制限食よりも耐糖能の改善に良い影響を及ぼす、といった内容の論文が掲載され(https://rdcu.be/deM5u)、健康増進、昼食代を浮かすという一石二鳥を狙って平日は昼食を抜いて生活しております。おかげで腹囲はものすごく減りました。

さて、私は2023年3月より留学させていただいており、英国についてからあっという間に4ヶ月が過ぎました。少しずつ慣れてきましたが、一年分の支払いをした住居から退去を余儀なくされるなど、まだまだトラブルは多く海外での生活の難しさを経験しております。一方で、留学することでしか得られない経験も数えきれないぐらいあり、この報告がこれから留学を考えている先生方の参考になれば幸いです。

私の留学先はSouthampton General Hospital(大学病院)に併設された研究所で、Bone and Joint Research Groupに所属しております。私は骨癒合の研究をしておりますが、他のメンバーは骨補填材料、変形性関節症、骨粗鬆症など幅広く骨や関節に関連する研究を行っております。研究は始まったばかりで少しの結果しか出ておりませんが、実験結果に一喜一憂しながらエキサイティングな毎日を過ごしております。研究については現時点であまり報告できる内容がないため、今回は主にサウサンプトンでの生活について報告致します。

サウサンプトンは英国の南部の都市で、人口は約25万人であり、印象としては福島県の郡山市に近い規模の都市だと思います。かの有名なタイタニック号が出航した港町でもあり、その名残もあってか現在も豪華客船が停泊しております。市の博物館に行くとタイタニック関連の資料が多数展示されています。中心部にはウェスト・キーショッピングセンターと呼ばれる仙台の利府イオンと同じような大型のショッピングモールがあり、郊外には国際空港や遊園地などもあってなかなかの都会です。一方で車で30分も行けばイギリス庭園を有する様々な歴史的建造物を見に行くこともできます。住宅街の中にも緑が残されており、私の家の庭にはリスが食べ物を探しに来たり、近所でハリネズミもいました。自然が好きな人であれば英国は最高の場所で、日本では牧野富太郎先生の朝ドラが始まっていると思いますが、英国の植生と日本の植生は似たところも多く見られ、たくさんの共通した植物を観察することができます。鳥も沢山いて、出勤途中の鳥のさえずりが良いリラクゼーションになっています。また、私には4人の小さい子供もおり、妻と合わせて6人で英国に来ておりますが、英国人は非常に子供に優しく、親切な人ばかりで子育てにも良い場所だと実感しました。サウサンプトンには日本語学校がないため長男は現地の小学校に編入しましたが(英国は9月から新学期)、子どもに合わせて特別なカリキュラムを組んでもらい、すでに少しずつ英語も話せるようになってきました。間違いなく一年後には英語のスキルは息子に抜かされることでしょう。

私にとって、今回が初めてのヨーロッパ滞在ですが、もっとも驚いたのは夜になっても外が明るいことです(夜の8時が日本の夕方ぐらいの明るさです)。したがって夜まで庭で子供が遊んだりすることもでき、庭でビールを飲んで楽しんでおります。英国ではビールは日本よりも若干安く買え、さらにヨーロッパ圏内の商品が陳列されていて種類も豊富にあり、ビール好きには非常に良い環境です。日本料理も英国では一般的となってきたようで、Ramen、Tohu、SushiやGyozaなど会話の中に突然日本語が出てきて驚くこともあります。海が近いのになぜか鮮魚を手に入れることは難しく、特定のスーパーでようやくニジマス(Rainbow trout)を手に入れて、庭で炭火を焚いて焼き魚にして食べたときは感動しました。

英国の医療事情は病院に勤務していないため詳しいことはわかりませんが、子供が指を怪我して救急病院に行った時は、2時間ぐらい圧迫止血しながら待ちましたが、きちんと処置をしてもらい、受診料も無料でした。どの職種においても言えることですが英国はストライキが多く、電車がストライキを起こしていることは日常茶飯事ですが、先月、救急車がストライキを起こしていることには驚きました。若い医師も賃金が少ないという理由でロンドンで何度かストライキを起こしており、不思議な気持ちになりました。日本では救急車や病院でストライキが起こることなど想像もつかないので、それは良いことだと思いますが、その反面、過酷な労働環境でも我慢して働き続けていることも事実であり、今回の働き方改革がうまくいくことを願うばかりです。

最後になりますが、私に留学の機会を与えてくださった相澤俊峰教授、橋本功先生をはじめとする同門の先生方、留学を応援・支援して頂いた皆様に心より感謝申し上げます。

写真1:サウサンプトン市民の憩いの場であるコモン・パーク。
ものすごく広い公園で多数の鳥やリスに会える。
写真2:サウサンプトン近郊のNational Trust。
少し車を走らせれば、綺麗なイギリス庭園を楽しめる。
写真3:週末にドライブで行ったお風呂の語源となったBath市の写真。
馴染みの無い観光地かもしれませんが、非常におすすめです。
会津外傷再建センター 留学

菅谷岳広(H17年卒)

2019年4月から会津外傷再建センターに内地留学させていただいております。当センターは、2015年に福島県立医大の外傷再建学講座として会津中央病院に開設されました。

欧米においてはすでに、整形外傷診療は整形外科から独立して、外傷センターというシステムが確立し外傷専門の診療体制が整っておりましたが、日本でもようやく数年前から全国各地に整形外傷を専門的に診療する「外傷センター」が新設されるようになりました。会津外傷再建センターは東北地方で初の整形外傷専門施設であります(同時期に同じ福島県内で南東北病院外傷センターも開設しています)。

会津地域は、福島県の約40%を占める広大な面積で、医療圏の人口は約28万人です。高齢者の脆弱性骨折はもちろん多いのですが、当院には救命救急センターがありますので、交通事故や墜落などによる高エネルギー外傷や切断外傷の患者さんも多く搬送されて来ます。特に、磐梯・猪苗代はバイクツーリングで全国的にも人気のエリアであるため、バイク事故で受傷した患者さんも多いです。また、骨盤輪、寛骨臼骨折は福島県全域から手術目的に紹介されてきます。

このように、受診される患者さんは非常に多彩でありますが、当センターではどんな外傷疾患に対しても世界レベルの治療を目指して診療を行っており、外傷専門施設としての責務を肌で感じております。

外傷再建センターは整形外科からは完全に独立した科であり、スタッフは、新潟県の整形外傷診療で活躍され、特に骨盤、寛骨臼骨折手術で御高名な伊藤雅之センター長を筆頭に、福島県立医大や新潟大からの専修医を含め現在6名です。また、加えて福島医大やその関連施設などから、脊椎外科の先生や若手の先生が曜日毎に交代でほぼ毎日1人ずつ来てくださっています。さらに、現在は人事の都合で一時不在ですが、なんと外傷再建センター専属の麻酔科医もいました。私は経験年数的に上から3番目であるため、自身の研修だけでなく、微力ながら後輩の指導的役割も担わせていただき、それもまた良い勉強となっております。

右から3番目が伊藤雅之先生。左から3番目が私。

救命救急センターと良好なチームを構築しており、初期治療から積極的に治療介入することによって、タイミングを逃さず手術治療やリハビリテーションを行うことが可能となっています。

治療に難渋しそうな重度外傷に対しても、「外傷再建」センターの名の通り、早期の機能再建を目指しております。伊藤先生は関節外科、関節鏡の専門家でもありますし、また手外科専門医もいますので、関節鏡、骨切り術、人工関節、創外固定、マイクロサージャリーなどの再建術を駆使して早期社会復帰を目指すことが可能となっております。

例えば、Gustilo type ⅢB開放骨折を挙げますと、数日以内に内固定と皮弁による軟部組織再建を行うという”Fix and Flap”が現在の標準治療とされていますが、特に軟部組織の再建など、これまではハードルの高い治療法と感じておりました。しかし、実際に初期治療〜治療計画〜1週間以内の再建手術〜リハビリという一貫した治療を目の当たりにし、良好な経過を辿るのを見ると、これが当然行われるべき治療なのだと思うようになりました。しかし、このように重度外傷に対し、初療時から一貫した治療戦略を講じ、実践するには、技術だけでなくシステムも重要であることを改めて実感しております。

毎朝7時半からカンファレンスが行われ、前日の手術症例と当日の手術予定症例全例の症例検討をします。術者は症例毎にスライドを作成し、詳細な手術計画をプレゼンします。手術適応から手術方法、後療法まで全員の目で厳しくチェックします。いい加減な手術計画は許されず、治療方針はあくまでもエビデンスに基づいた標準治療を確実に行うことを基本としているため、毎回Rockwood and Greenなどの教科書や論文で確認するようにしています。また同時に、このカンファレンスでは毎日のように疑問点やまだ明らかになっていないことが浮かび上がってくるため、それが研究のアイデアにもなっています。

この1年間の留学中に、まずは英語論文を1編書くことを目標のひとつにしております。

外傷再建センター医局で毎朝のカンファレンス。5月まで専属の麻酔科医がいたため、周術期のリスク評価などもでき、その日の手術スケジュールも柔軟に組むことが可能でした。

留学が始まって早くも半年経とうとしていますが、非常に充実した日々を送らせていただいております。技術や知識だけでなく、外傷専門施設としてのマネジメント方法など、学びたいことはまだまだたくさんあります。

また、私にとってこの会津は、5年前に竹田病院へ赴任していたこともあり、とても馴染みのある地でもあります。南会津や磐梯・猪苗代など自然豊かな観光地が多く、なんと言っても日本酒がとても美味しいです。残り半年と限られた時間ではありますが、この留学でできる限りのことを学びつつ、会津の生活も堪能したいと思います。

最後になりますが、このような機会を与えてくださった井樋栄二教授をはじめ、東北大学整形外科同門の先生方に心より御礼申し上げます。

将来、東北地方の外傷分野の発展に大きく貢献できるよう、努力いたします。

Royal Orthopaedeic Hospital(ROH) 留学

吉田新一郎(H21年卒)

2019年7月より、英国のBirminghamにあるRoyal Orthopaedeic Hospital (ROH) に留学をさせていただいております。今回機会をいただきましたので、こちらでの生活について御紹介させていただきます。

Birminghamは、人口およそ100万人の、英国ではロンドンに次ぐ第2の都市で、産業革命時代から運河や鉄道とともに工業都市として発達したと言われています。現在も運河が残されており、郊外に住む知人の自宅前の運河にボートを浮かべれば市街地まで辿り着けると聞きました。日本の北海道や北方領土よりも高い緯度に位置しており、最も暑い7-8月でも30℃を超えることは珍しく、夏季は非常に快適に過ごせます。

私の留学しているROHは、NHS (National Health Service)によって管理・運営されるNational centerです。腫瘍、大関節、小関節、足、手、スポーツ、脊椎、小児、リハビリ、ペインなどを様々なチームがあり、数多くの症例を扱っております。私の所属するoncology teamには、日本でいう専門医に当たるconsultantが8名おり、さらに国内外からのfellowが5-6名、observer(私のような現地では医療ライセンスのない医師)が3-4名在籍しています。

(病院のメインエントランス)

英国内には骨軟部腫瘍を扱う大きなNational centerが2か所(大小含めると5か所)に集約化されており、中でもROHは最大の症例数を誇ります。週に15件を超える骨軟部腫瘍症例(そのうち1/2~1/3が悪性)の手術があり、それと同程度の件数の人工関節手術(THAやTKA、それらの再置換)が行われおり、その症例数の多さに圧倒されます。日本の単一施設で1年間に経験できる骨軟部腫瘍手術件数を、1~2か月で経験できる計算になります。また、私のような現地のライセンスを持たないobserverでも、実際に手洗いをして手術に入ることができ、手術を間近で見る(というか助手をする)ことができます。そのため、国内外から数多くの医師が研修に来ており、ROHのoncology teamがトレーニングセンターとしていかに魅力的かが分かります。またこれだけ症例数が集まる施設なので、日本では困難な症例数の多い臨床研究を行うことができます。私も渡英して数日でテーマを与えてもらい、空き時間には他のfellowとともにデータベースにかじりついております。手術など症例を経験することに加え、臨床研究の手法を学び実績を上げること、また他国のfellowとの交流を図ることも留学の目的と考えており、大変充実した日々を送っております。

私のMentorであるAbudu教授は、骨軟部腫瘍はもちろん、変性疾患に対する治療(人工関節や関節鏡)も行っています。治療方針の決定も早く、手術手技自体も極めて迅速な先生ですが、臨床・研究の両面で非常に教育熱心な上に、施設内外から数多くの相談が絶え間なく来るため、超多忙です。それでも、患者さんはもちろん、コメディカルや我々のようなfellow・observerに声を荒げることは一切なく、非常にfriendlyに接してくださいます。豊富な症例数だけでなく、このような先生がいることも、ROHの大きな魅力だと感じております。

(Abudu教授と)

週末は基本的にフリーになるため、Birminghamの街中を観光したり、臨床研究や、これまで落ち着いてできなかった勉強をしたりして過ごしています。先日は、現地の日本人会を運営している方のホームパーティーに招待され、楽しい時間を過ごしました。また、7月の末には、oncology teamのメンバーとともに、クリケットをして楽しみました。クリケットは日本ではあまり馴染みがありませんが、英国はもとより世界的にも競技人口が非常に多い競技で、パブに飲みに行ってもテレビではクリケットの試合中継をよく見かけます。初めはルールも分からず戸惑いましたが、初心者でも十分楽しめました。

(クリケット中の写真。バッツマンが筆者。)

最後に、貴重な留学の機会を与えてくださった井樋栄二先生、留学助成金申請や研究計画などにつき御指導くださった萩原嘉廣先生、Birminghamでの生活などについて具体的な御助言をくださった保坂正美先生、綿貫宗則先生、留学資金準備のために御協力くださった那須孝邦先生、檜森興先生、森明彦先生に深く御礼を申し上げます。

ユタ大学整形外科、Harold K. Dunn Orthopaedic Research Laboratory 留学

川上 純(H19年卒)

アメリカの地についてから早いもので、3か月が過ぎました。この3か月は生活および研究のセットアップのためにほとんどが費やされたような気がします。日常生活を送ることにはだんだんと慣れて参りましたが、トラブル解決にあたってはまだまだストレスを感じております。留学生活も始まったばかりですが、その中で経験させていただいたことをここに書かせて頂きます。

(ユタ大学病院)

私は2019年4月より、アメリカのUtah 州Salt Lake CityにあるUniversity of Utah department of orthopedic, Harold K. Dunn Orthopaedic Research Laboratoryに留学させて頂いております。ユタ大学整形外科は潤沢な資金があり、NIHからgrantをどれだけもらっているかを調査しているBlue Ridge Institute for Medical Research (BRIMR) rankings for 2018では、整形外科の分野の中で全米第1位($12,428,561)となっております。ユタ大学では、資金がある科は大学の敷地内に新たな施設を建設していることが多いです。整形外科もご多分に漏れず4階建てのOrthopaedic Centerを建てています。その中には5つの日帰り用の手術室、外来、Office、研究所が入っています。当研究所は3つの研究グループからなり、私は肩のバイオメカ研究を行っている、Henninger Research Groupに属していますが、Dr. HenningerはNIHから2億のglantを獲得しております。肩関節のバイオメカ研究を行う上では十分な設備がありますが、とりわけDual fluoroscopyによる2D-3D-registrationの技術が進んでおり、その技術から抽出された正常肩関節の動きをshouder simulatorに還元し、ロボットで死体肩を動かすことができます。私はこのsimulatorを使って研究を行う予定です。

(Orthopaedic Center)

ここでは、研究だけでなく臨床の見学もさせていただいております。アメリカ人は朝が早いことは聞いていましたが、月曜日は、6時30分からSport conference、8時から手術見学、水曜日は6時からClinical conference、7時からGrand round(勉強会)、木曜日は7時からReserch Conference、8時から外来見学をさせていただいております。また、ユタ大学整形外科はNBAのUtah JAZZ、マイナーリーグ(AAAクラス)のBees のチームドクターをされており、選手の診察も見学させていただいております。ユタ大学は体操競技女子が強く、全米選手権大会で最も優勝回数が多く、その選手もフォローされております。

(アパートから見たソルトレイクシティーの夜景)

Salt lake cityは人口20万の小さな都市ですが、周辺の地区を合わせたSalt Lake County(群)は120万であり、仙台と似たような雰囲気を感じます。ニューヨークのように都会ではなく、仙台育ちの私にはとても住み心地の良い街です。周辺には動物園、博物館、水族館、遊園地、公園などが、子供達にもいろいろな経験をさせられる施設も豊富にあり、子育てにも良い街です。仙台のようには混まないので躊躇なく出かけることができます。また、さらに足を伸ばせば、国立公園が点在しており、自然を楽しむには良いところだと思います。治安は、人口の半分がモルモン教徒であることから、他の都市よりも安全だと考えられています。実際に街に出てみると、親切な人が多く、日本よりも子供に暖かいです。いままでのアメリカのイメージとは異なり、会う人どの人も本当に優しく、親切な人達で、安心しております。しかし、私が来る直前には中国の留学生が私が住むアパートの駐車場で銃殺される事件があったり、他州での銃殺のニュースがたびたび報じられ、銃社会であることが感じさせられます。

(アーチーズ国立公園)

ユタ大学整形外科のスタッフの方々には本当に親切にしていただき、事前に見学に行った際には詳細なItineraryを送って頂き、PhD sutudentが空港まで迎えに来てくれました。研究室の紹介もとても丁寧に教えて頂きましたし、自宅に招待して頂いたり、歓迎会まで行ってくれました。現在もお世話になってばかりですが、今後、研究成果を挙げて恩返しができればと思います。

(歓迎会:私の右隣りが直接指導いただくDr.Chalmars、左隣りが肩肘の教授のDr.Tashjian,その二つ隣がバイオメカ研究のPIのDr.Henninger)

最後になりますが、私に留学の機会を与えてくれた井樋栄二教授、山本宣幸先生を始めとする同門の先生方、留学準備でお世話になった先生方に心より御礼申し上げます。

脊椎内視鏡手術と和歌山・徳島での2年間

山屋誠司(H15卒)

脊椎内視鏡の歴史は今から約20年前(1997年)に遡ります.当時国内でも開発の流れはありましたが,米国でFoley, Smithらが16mmの皮膚切開で行う初代の内視鏡手術:Microendoscopic discectomy (MED)を開発・発表しました.当時の内視鏡画像の精度が悪かったため多くの合併症が報告され,米国では長続きはしませんでした.一方,日本国内では和歌山県立医科大学整形外科名誉教授 吉田宗人先生らが,MEDを20年前に米国から日本に導入し,研究と臨床応用を続けました.内視鏡手術を行わない医師からは,米国で廃れた手術なのだから日本で普及しないと否定的な意見もありました.しかし,MEDを導入された吉田先生や,8mmの皮膚切開で行う内視鏡手術full endoscopic discectomy (FED)を初めて日本に導入された帝京大学溝口病院整形外科名誉教授 出沢明先生,徳島大学病院整形外科主任教授 西良浩一先生らは,国内で脊椎内視鏡手術の研究・開発を続けました.その結果,内視鏡カメラの開発・発展と同時に手術適応疾患は広がり,今や頚椎から腰椎まで内視鏡下除圧術が行われるようになりました.脊椎内視鏡手術の分野で,ドイツ,韓国など東アジアの国とともに日本は世界で最先端の医療技術を誇ります.現在国内では,和歌山県,東京都,徳島県,愛知県など積極的に脊椎内視鏡手術が行われる地区もあれば,まだ普及していない地区との差が大きくあります.

私は,東北の地域医療を経験した中で強く感じていることがあります.医師不足に加え,東北人は特に我慢強く他者へ痛みや不自由を訴えない方が多いためか,脊髄症も腰部脊柱管狭窄症も麻痺や排尿障害など重症化してから受診される方が多いです.重症化してから行う手術では改善が期待しにくい疾患です.内視鏡手術で手術後の痛みと合併症率を最小限にすることで,不安をかかえる多くの東北の患者さんに適切な時期に必要な手術を提供できる可能性があります.

長年その思いを募らせておりましたが,2011年に仙台で震災を経験し,自分の人生を見直すと共に長年抱いていた夢を現実のものにしたいと強く思い,この年を契機に脊椎内視鏡手術をはじめました.

そして,2015年4月から2017年3月までの2年間,日本脊椎脊髄病学会クリニカル・フェロー制度を利用し,脊椎内視鏡手術の研鑽・研究のために和歌山県立医科大学整形外科学教室,角谷整形外科病院(和歌山市),徳島大学運動機能外科学教室での国内留学の機会を頂きました.国内留学の目的は,

  1. 頚椎内視鏡下除圧術(CMEL, CMEF),再手術例に対する内視鏡手術Revison MEL、局所麻酔下全内視鏡下椎間板摘出術(FED),低侵襲椎体間固定術(XLIF,OLIF)の手術手技の習得と修練
  2. 脊椎内視鏡手術関連の臨床研究
  3. 上記の教育および普及のためのknow-howの習得

主に上記3つでした.新しい術式を,導入・普及するには上記3つは必須です.内視鏡手術によって,早期退院と早期社会復帰が可能となれば,患者さんや家族,医療従事者にとっても大きな恩恵になります.

限られた期間ではありましたが,大変多くの先生方に多大なるご支援・ご指導を賜り,大変恵まれた環境で研鑽を積むことができました.和歌山県立医大名誉教授吉田宗人先生・教授山田宏先生・和歌山県立医大整形外科教室の先生方,角谷整形外科病院の野村和教先生,中村陽介先生・綿貫整形外科の先生方,徳島大学主任教授西良浩一先生・准教授酒井紀典先生・徳島大学運動機能外科学教室の先生方,鳴門病院の先生方など,多くの先生に心より御礼申し上げます.

-国内留学:和歌山-

脊椎内視鏡下手術MEDは,和歌山県立医大整形外科名誉教授の吉田宗人先生により1998年に国内に導入され約20年の歴史があります.約16mmの皮膚切開で行う内視鏡手術の適応は,頚髄症から腰部脊柱管狭窄症まで広がり,再手術も内視鏡で除圧手術が行われます.除圧術が中心の角谷整形外科病院(和歌山市内)では年間約500〜600件の脊椎手術のうち95%が脊椎内視鏡下手術です.約2年間,和歌山県立医大と角谷整形外科病院で研鑽をさせていただき多くの驚きがありました.1つ目は,和歌山県内では,脊椎内視鏡手術が和歌山県民の受けることのできる標準手術になっていることです.和歌山でうける脊椎手術=内視鏡手術=早期退院・社会復帰が,和歌山県民の共通認識になっています.先端的で高度な医療が一部の患者さんだけでなく和歌山県民の多くの患者さんが受けられることには大変驚きました.ある患者さんが「近所の人も腰の内視鏡手術をしてすぐに生活にもどっているし,胃カメラと同じくらいの感じだよ。」と言われたことは忘れられません.同じ日本国内でも地域によって大きな差があります.吉田先生や和歌山の先生方が20年間かけて研究・教育・普及活動を行われたことに,深い敬意を申し上げます. 2つ目は,脊椎内視鏡手術研究と脊椎疫学研究 という2つの大きな臨床研究の柱が,毎年多くの成果を出していることです.紀三井寺にある桜の大木2つに,熱い想いのある人が集まり毎年,新しい花を咲かせています.3つ目は,20年間で積み重ねた貴重な手術技術を惜しげもな伝える教育です.角谷整形外科病院では,吉田先生,野村先生と中村先生に直接ご指導いただく機会に恵まれました.20年かけて完成した技術を2年で吸収するため,できるだけ多くの時間を病院で過ごしました.

「20年間の中で我々が,遠回りしたことが多々ある.今から学ぶ人は遠回りする必要はない.マスターするために先ずは所作・手技全て真似ること.全て真似てできるようになれば,後からその理由が必ず分かるし,応用もできるようになる.」考えずに盲目になれという意味ではありませんが,考えすぎて遠回りしがちな私にはこの言葉が必要だったのだと思います. 完成形の術式がある場合は,技術を学ぶ人間が完成形の水準に達する前にオリジナルを追求することは,遠回りでありリスクを伴います.東北で安全に導入するために貴重なご指導を頂きました.東北に戻り,頚椎内視鏡手術(CMEL, CMF)を始め多くの内視鏡手術を安全に導入することができました.心より御礼申し上げます.

-国内留学:徳島-

徳島大学運動機能外科学(整形外科)主任教授の西良浩一先生のもと局所麻酔下Full endoscopic lumbar discectomy: FEDに関する臨床研究や教育が国内で最も盛んに行われております.8mmという小さい皮膚切開によって,局所麻酔での手術が可能となります.近年,局所麻酔手術の適応が,腰椎椎間板ヘルニアから腰椎椎間孔狭窄,腰部脊柱管狭窄症に徳島県内では広がりました.手術の適応の可否は,患者さんの病態や全身状態だけでなく,執刀医がその手術をできるか否かに大きく依存しています.西良先生の『8mmの傷で行う局所麻酔の腰椎手術を多くの患者さんに提供したい』という熱い想いに,多くの脊椎外科医が毎年全国から集まっています. 全身麻酔ではなく局所麻酔で同じ目的が達成できれば,全身麻酔後の合併症のリスクがなくなるだけでなく,手術翌日から数日以内の超早期の退院も可能となり,若いアスリートから合併症のある高齢者まで多くの患者さんに恩恵があります.

私は,2017年2月から合計3ヶ月間,局所麻酔下,腰椎内視鏡手術FEDの研修・研究のために徳島大学西良先生のもとご指導を頂きました.徳大式,局所麻酔下transforaminal FEDは,局所麻酔剤と経静脈的鎮痛・鎮静剤のみの手術のため,患者さんと会話しながら手術も可能です.術中から下肢痛や腰痛が軽快し,手術2時間後にはスタスタ歩いている患者さんの様子には大変驚きました.脊椎外科医教育のためのFEDフレッシュ カダバーセミナーは合計6回も参加させていただき,実際に局所麻酔下FEDを東北で導入することも実現しました.数多くの臨床研究も発表をさせていただきました.また阿波踊りにも参加させていただき,情熱的な徳島スピリッツを体感させていただいた事も大きな思い出です.

最後になりましたが,このような機会を頂きまして井樋教授をはじめ東北大学整形外科学および関連病院・同門の先生方に心より御礼申し上げます.脊椎内視鏡手術を東北で多くの患者さんに提供し普及させるために,今後尽力して参ります.

日本関節鏡・膝・スポーツ整形外科学会 (JOSKAS)-SFA Traveling Fellowship

八田卓久(H14年卒)

この度、日本関節鏡・膝・スポーツ整形外科学会 (JOSKAS)-フランス関節鏡学会 (SFA) traveling fellowshipに選出され、2017年11月25日から2週間、フランスで病院見学ならびにSFA congressに参加する機会を頂きました。

はじめに滞在したパリでは、以前に日本でお会いしたGeoffroy Nourissat先生と再会し、温かい歓迎を受けました。翌日にボルドーに移動して、3日間メリニャックスポーツクリニックで研修を行いました。Pierre-Henry Flurin先生の肩関節鏡手術、反転型人工肩関節置換術、Latarjet法を見学しました。

その後にリヨンで1週間を過ごし、3施設を訪問しました。中でも肩関節手術で有名なサンティー整形外科センターでは、Arnaud Godeneche先生の手術を見学し、迅速ながらも丁寧な手術手技に感銘を受けました。また、ボルドーとリヨンでは研究報告会が行われ、様々な関節鏡手技に関して活発な討論となり非常に盛り上がりました。

最後に訪れたマルセイユではSFA congressに参加し、日本ではあまり知られていない独創的な手術の報告等、終日興味深く参加させて頂きました。いずれの発表も症例数が多いため、臨床成績を考察するに十分な内容となっており、この点が本邦での臨床研究に比較してインパクトを持つ要因と思われます。今後、臨床研究で取り組むべき課題を知ることができ、有意義な経験となりました。

最後に、年末の多忙な中での渡仏を許していただいた東北大学整形外科医局の先生方をはじめ、JOSKASの選考委員の先生方、SFAの皆様、米田稔先生、古松毅之先生に深謝申し上げます。

ボルドーのメリニャックスポーツクリニックの手術室。すべての手術室に大きな窓があり、朝焼けとともに手術が始まりました。
SFA congressにて。
第11回 日中脊柱外科新技術検討会に参加して

橋本 功(H11年卒)

私はこの度2016年12月8-10日の間、中国の広州(広東省)で開催された第11回日中脊柱外科新技術検討会に参加して来ましたので、ご報告致します。

この検討会は広州・中山大学脊柱外科の劉少喩教授が、以前弘前大学整形外科の植山和正先生(現・弘前記念病院理事長)のもとに留学されていたよしみから始まった日中脊椎外科の交流会です。年一回この時期に開かれ、今回は世話人である植山先生を始め、日本の各地から9名の脊椎外科医が参加しました。中国では小さい学会(東北脊椎外科研究会のような規模)も検討会と呼ばれます。今回は劉教授を慕う中国各地の脊椎外科医約100名が集いました。

今回の旅程は、12/7夜に広州到着、12/8午前に中山大学脊柱外科での症例検討、午後に広州観光、12/9に終日検討会、そして全員懇親会という内容でした。

中山大学での症例検討では、70代女性のL1椎体圧迫骨折後の偽関節にL4/5狭窄症を合併した症例と、ペースメーカーのためMRIが撮れない83歳女性の腰下肢痛の症例でした。後者について、日本側の一致した見解はまず脊髄造影による神経圧迫状況の把握が先決という結論でしたが、こと広州ではMRIが撮れない患者さんにも脊髄造影を行う習慣がないことは意外でした。

学会は、日中互いに約10演題ずつそれぞれ12分の講演発表をする形式でした。日本側の発表は英語で、中国側の発表は中国語でという方式です。日本人の発表は英語スライドで事前に提出してあり、それを中国語翻訳したものとのダブルスライドで供覧されます。自分が作成したスライドが中国語になっていることは、なかなか興味深いものでした(写真1)。一方中国側のスライドは殆どが中国語のままです。幸い簡体字とはいえ漢字の意味にそれほど大きな違いはないため、スライドの内容だけは概ね理解できます。中国側からはMED, XLIF, MIS-TLIFなどの発表もあり、手術手技の急速な進歩が感じられます。一方で全体的に治療学(手術法)の進歩に診断学が追いついていない印象も受けました。大ベテランクラスの中国の脊椎外科医が、各セッションが終わるたびにその点について独特の口調で演説(説教?)されていたのが印象的でした。英語がある程度できる若手医師が日本人一人ずつの後の席について中国語を英語に同時通訳してくれます。

(写真1)

中国語が飛び交う中、劉教授の息子さんで、現在弘前大学整形外科の大学院生として留学されている劉希哲先生が日中同時通訳(中国語⇔日本語)を一手に担っており、その獅子奮迅の活躍が印象的でした。中国側の重鎮のコメントにはかなりきわどい内容もあったらしく、訳して良いものか困惑している場面もあり、こちらも思わず失笑する場面がありました。中国のベテラン医師たちの歯に衣着せぬ言葉は、やはりお国柄なのでしょう。

また私の講演発表の際とその後に、中山大学から北京に国内留学中の若手脊椎外科医が、国分式の脊柱短縮骨切りについて熱心に質問してきました。中国の若手脊椎外科医はその熱意も去ることながら、ベテラン層に比べて遥かに流暢な英語を操ります。こういった人材が多数(人口比なら日本の10倍?)いることを考えると、中国脊柱外科の今後の発展は目覚ましいものになることを感じました。

さて検討会以外にも大変な歓待を受けました。到着した夜の広州タワー展望(写真2)から学会前日の観光・会食に至るまで、それこそ朝起きてから夜中までほぼノンストップでイベントが用意されています。広東料理は野菜も多く、本当に日本人の口に合うものばかりでした。そして懇親会で出される白酒(パイチュー)が強烈で、アルコール度数53度の蒸留酒を専用の10ml位の小さいグラスに注ぎ、「乾杯(ガンベー)」の合図で飲み干します(写真3)。何人もと乾杯を繰り返すのが中国式のもてなしで、かなりの杯数をこなすことになります。毎年同伴される植山先生の奥様が日本人医師のために魔法の(?)漢方薬をご用意くださっており、そのお陰で日本人医師は二日酔いを免れる…ということが恒例となっています。確かにその効果は絶大で、翌朝4時半起きで出発する際も、スッキリ目覚めることが出来ました。同じお酒をお土産として全員に1本ずつ頂くのが恒例とのことですが、空港で同じモノを発見してビックリ…。初日から惜しげもなく振る舞われてガンベーしていた白酒、日本人医師たちの間では「消毒液みたいな入れ物だねぇ…」などと言っていたのですが、実は500mlで2万円する超高級酒でした。中国流の「お・も・て・な・し」のスケールに改めて驚愕しました。

(写真2)
(写真3)

以上の通り、今回の3泊4日の広州弾丸ツアーは非常に有意義なものとなりました。中国の若手医師、そして植山先生をはじめ北は弘前大学、南は鹿児島大学系列の脊椎外科のトップスラスの先生方と盃を酌み交わし、ご厚誼頂けたことは何にも代え難い経験でした。惜しむらくは、現地でのコミュニケーションのため、片言でも中国語をかじっていけばよかった…ということでしょうか(お店や現地係員、学会参加スタッフのコメディカルの方々に英語は全く通じません)。今後また参加する機会を頂けるとすれば、その際にはもう少し言葉を勉強してから行けば、更に人の輪が広がるものと確信しました。最後に、本検討会にご招待頂いた弘前記念病院の植山和正先生には、改めて深く感謝申し上げます。

AOSpine トラベリング・フェロー 2015 at I.R.C.C.S. Istituto Ortopedico Galeazzi イタリア・ミラノ道中記(2015.11.2-20)

橋本 功(H11年卒)

この度私は、AOSpine Asia Pacific Traveling Fellowship 2015にご選出頂き、2015年11月2日から20日の約3週間、私はイタリア・ミラノのI.R.C.C.S. Istituto Ortopedico Galeazzi(以下Galeazzi病院)で脊椎外科研修を行う機会を頂きました。

Galeazzi病院は、整形外科外なら誰でも知っているGaleazzi骨折を報告した、ミラノ出身の外科医Dr. Richardo Galeazzi (1866-1952)の名を冠した病院です。本病院はミラノ市の北西に位置し、整形外科、頭頚部外科、形成外科、血管外科の専門病院として、イタリア全土、そしてヨーロッパにその存在を広く知られています。ベッド数は351で、14の手術室を持ち、毎日整形外科の手術だけで20件以上が行われている、いわばイタリアの整形外科センターです。私はその中で第二脊椎外科チームに貼り付きで、手術三昧の研修を行いました(写真1)。

(写真1)

私がイタリアを選択した理由は2つ、手術に手洗いして参加できることと、食事が美味しいことです(笑)。もちろん英語圏の国という選択肢もあるのですが、米国は部外者が手術に参加(手洗い)することが非常に難しいことから、今回は選考外としました。またヨーロッパの中でも英国・ドイツ・オランダは、食事が・・・という理由からパス。スペイン・イタリア・フランスからの選択となると、私の以前の留学先での同僚がいる、イタリアとい選択肢になりました。

私が貼り付いた第二脊椎外科(Chirurgo Vertebrale II)は、月・水・木・金の週4日が手術日です。トップはAOSpineのfacultyで、EuroSpineの顧問でもあるDr. Claudio Lamartina、実働のトップはDr. Roberto Bassani(写真2)です。腰椎の前方固定を得意とするチームで、特徴的な手術を行っています。

(写真2)

中でも驚いたのが、超小皮切の腰椎前方固定術でした。臍のすぐまわりを、2時から10時の範囲に皮切を入れ、そこからL3/4, 4/5, 5/Sの3椎間の前方固定を行えるという方法です。術後3ヶ月で、皮切がどこに入ったかがほぼわからなくなる、いわば究極の(?)小皮切手術です。これはDr.Bassaniのチームオリジナルの方法で、今後普及させる予定とのことでした。

イタリア人はゆったり仕事をし、夕方には早々に帰宅してしまうイメージがあったのですが、ここGaleazziは違いました。朝8時に手術室に集合し、夜まで一日中手術漬けです。ホテルに帰るのはいつも夜9時を回った後でした。

手術の殆どは固定術で、しかもその多くが頚椎・腰椎の前方固定、または胸腰椎の前方後方一期的固定術でした。通常ならば一日がかりでやるような手術の前後に、直列で別の手術が組まれています(写真3)。

(写真3)

現地でのコミュニケーションは、基本的に英語です。AOSpineのトレーニング施設であるため、ドクターたちの多くは上手な英語を話してくれます。ただ手術に手洗いして入るに当たり、器械出しのナースとのやり取りではそうは行きません。渡航前にイタリア語を若干かじっていたので、積極的に使ってみることにしました。手術器械のイタリア語名も現地で覚え、積極的に使ってみました。これが大当たりで、器械だしナースからも親切にしてもらえました。

手術日は夜遅くなるため、食事のために外出する気力もなく、ホテル近くのスーパーで夕食を買い込んで食いつなぐ生活でした。海外のスーパーマーケットは、その土地の生活、特に食生活が見えます。イタリアのスーパーマーケットで特に印象に残ったのは、ワインとチーズの豊富さでした。普通の大型スーパーですが、ワインは陳列棚一列全てを埋め尽くしています。チーズも、これまた一列を占めています。三大ブルーチーズの一つ、ゴルゴンゾーラチーズの塊が一つたったの2ユーロ・・ということで、もちろん即買いでした。

グルメも堪能しました。脊椎チームのミラノ出身ドクターに、ミラノ料理のベスト・レストランを聞き出し、オフ日にミラノ郊外のレストランAl Garghetを訪れました。地下鉄の終点駅から路面電車で4駅、そこから徒歩30分という辺鄙な場所です。北イタリアの主食はコメです(パスタは南イタリアの食べ物)。ということで、名物のミラノ風リゾットと、ミラノ風カツレツ(コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ)を注文しました。ミラノ風カツレツは、ドイツ・オーストリアのシュニッツェルの原型で、薄く叩いて大きくした豚肉をパン粉につけて挙げたひらたく大きいカツです。地元民オススメだけあり、お店の雰囲気、料理ともに大満足でした(写真4)。

(写真4)

またミラノといえばサッカーです。滞在中にミラノのサン・シーロスタジアムで唯一行われた、ACミランvsアタランタの試合を、最前列で観戦しました。当時不調のホンダは後半途中出場で見せ場なし、試合もスコアレスドローと見どころにかける内容でしたが、本場のカルチョの雰囲気を堪能できたのは収穫でした(写真5)。

(写真5)

旧友との再会も果たしました。以前アメリカ・ニューヨークのHospital for Specail Surgeryの基礎研究部門に留学していた際、同僚だったイタリア人研究員です。一人はPhD、もう一人はリウマチ内科医です。イタリアの内科医は待遇が非常に悪く、生活も大変そうでした(具体的な金額は書けませんが、日本の一般企業の大卒初任給よりも安いくらい)。そんな境遇にあっても、はるばる日本から来た私を歓待してくれ、行く先々の食事(これまたボローニャのすばらしい地元料理)などでは、私に財布を出させてくれませんでした。近い将来、日本で彼女たちを歓待することを約束しました(写真6)。

(写真6)

研修の最後には、第二脊椎外科部門のトップのDr.Lamartinaに、マンツーマンでの会食にお招き頂きました。Galeazzi病院一筋40年、現在はAOSpineの役員として毎月世界中を駆け回っていらっしゃるご多忙な方です。病院から愛車のポルシェで、ご自宅近くのレストランにお連れ頂きました。ご家族の話、若手脊椎外科医の育成方針の話、イタリアの医療制度の話、AOSpine Europeで開催されるセミナーについてなど、興味深い話ばかりで、2時間があっという間でした。また「キミはイタリア語の発音がよくて、コミュニケーションがいいと聞いたよ。スタッフからの評判も上々だね。」とお褒めを頂くことができました。イタリア語は文章をアルファベット通りに読めばそれなりの発音になるため、日本人には馴染みやすいことも幸いしました。やはり現地の言葉でのコミュニケーションを心がけることが、現地でうまくいく秘訣と再確認しました。

とりとめのない駄文となってしまいました。今回の研修を通して、特に若手の先生方には外の病院や、自分たちとは違う環境での医療を見る機会を沢山持って頂きたいと確信しました。今後は若手にこういったチャンスを掴んでえるよう、案内していければと考えております。

日本脊椎脊髄病学会 Asia Traveling Fellowship -ベトナム・台湾訪問記-

菅野晴夫(平成11年卒)

この度、日本脊椎脊髄病学会の第9回Asia Traveling Fellowshipに選出され、ベトナムのホーチミン市と台湾の台北市を訪問し、脊椎外科を中心とした病院見学をする機会を与えて頂きました。このFellowshipはもう一人のfellowと二人ペアで訪問することになっており、今回私は国保松戸市立病院脊椎脊髄センターの脊椎外科医である宮下智大先生と共に訪問しました。2カ国をそれぞれ1週間ずつ計2週間程の滞在でした。以下にそれぞれの訪問について述べたいと思います。

【ベトナム】先ず2014年9月7日〜9月15日の期間、ホーチミン市のHospital for Trauma- Orthopedicsを訪問しました。ベトナムの脊椎外科の第一人者であるVo Van Thanh教授(写真1)にお世話をして頂きました。

写真1:Vo Van Thanh教授のオフィスにて。右から私、教授、宮下先生。

この病院は市内中心部にある野戦病院的なところで、院内は常時患者さんであふれかえっており、外来では患者さんの間をすり抜けて通る状態でした。病棟は通常のベッド数では足りず、病室内や廊下にストレッチャー等を追加して患者さんを入院させていました(写真2、3)。

写真2:廊下に収容され入院している患者達。
写真3:患者さんでごった返した病院内の外来の廊下。

貧困や衛生状態の問題からか化膿性脊椎炎、脊椎カリエスや特発性側弯症の高度変形例なども多数治療されていました。手術は見学だけでなく実際に参加させて頂き、側弯症の展開やscrew挿入、脊髄腫瘍の後方除圧、腫瘍切除や硬膜再建に至るまで、教授やその仲間達と一緒に色々ディスカッションしながら手術をさせて頂くことができました。特に側弯症の手術では教授がフリーハンドで素早くPedicle screwを挿入し、良好な矯正固定を行っていたのが印象的でした(写真4)。

写真4:Vo Van Thanh教授と共に側弯症手術を終えて。右から私、教授、宮下先生。

日本のような整った手術室の環境や高度な手術器械はないにも関わらず、様々な知識を駆使して独創的な工夫をしながら、高度な医療を提供しているのにはとても驚かされました。また、貧しい患者さんにも、企業から寄付された手術インプラントなどを使用して、できる限り理想的な手術を提供しようとしている教授のひたむきな努力に大変感銘を受けました。

【台湾】2014年10月26日〜11月2日の期間、台北市内および近郊の複数の病院を訪問しました。National Taiwan University Hospital(NTUH)の元教授PQ Chen先生(写真5)に訪問中のマネージメントして頂きました。

写真5:台北での歓迎会にて。前列中央にPQ Chen元教授、 右がHuang教授。後列に宮下先生と私。

NTUHでは側弯症などの手術見学はもとより、大学ならではの重症の脊椎症例について多くの濃厚なケース・ディスカッションをすることができました。医療環境で驚いたことは、手術で使用するインプラントはロッドやスクリュー1本ごとに全て政府の許可を得なければならず、使用が制限される場合もあることでした。使用が制限された患者については、術式を変更するか、または足りないインプラント分の医療費が患者負担となっていました。日本の医療環境がいかに恵まれているかを再認識することができました。また、日本の旧帝大に属するNTUHは、「先生センセイ」という日本語が現在も使われていたのは印象的でした。

台湾で最大の病床数をもつChang Gung Memorial HospitalのKeelung分院にも訪問しProf. TJ Huangの手術見学もしました。Pedicle screw挿入前にプローベを使わず、骨折手術等で使うハンドドリルで椎弓根内に穴をあけるTai-Chi(太極)法には驚きました。市内の郵政病院の手術見学やChen教授のprivate clinicの訪問もしました。各病院では日本での私の研究についてプレゼンテーションする機会を多数頂き、とても有意義なディスカッションができました(写真6)。

写真6:Chang Gung Memorial Hospitalでの私のプレゼンテーションの様子。

【おわりに】両国の訪問では共に大変な歓待を受け、教授やその同僚である若い世代の脊椎外科医とも親交を深めることができました(写真7)。また訪問中の様々な場面で、同門の先生方がこれまでに培ってきたアジア各国の脊椎外科医との厚い絆を強く感じました。今回の訪問により日本と両国との違いを知り、また我々の日々の医療を客観的に見つめなおす機会となり、とても有意義なFellowshipとなりました。我々を受け入れていただいた両国の先生方、貴重な機会を与えていただいた学会ならびに同門の先生方にあらためて深謝申し上げます。

写真7:ベトナムの若手脊椎外科医と共にディナーの様子。ベトナム料理はどれをとっても最高でした。
サウサンプトン大学 骨関節研究所 留学

高橋 敦(H12年卒)

私は2013年4月より英国サウサンプトン市にあるThe University of Southamptonに留学させていただいています。サウサンプトンはイングランド南端に位置する港町で、あのタイタニック号が出航した港として知られています。サッカー日本代表の吉田麻也選手が所属するサウサンプトンFCはご存知の方も多いかもしれません。私が所属するのはBone and Joint Research Groupという骨関節の研究に特化した研究室で約30人の大所帯です。PhDやPhD studentが主体ですが、整形外科医や歯科医、獣医も数人いて幅広い研究をしています。まわりをざっと見回してもイギリスは当然ですが、ドイツ、イタリア、オランダ、中国、南アフリカ、ポーランド、ロシア、ブラジル等々国籍も多彩です。私の研究はRichard教授の指導のもとスペイン出身のMay博士(写真1)と共に、前任の山田先生、橋本先生、今川先生の後を引き継いで変形性関節症のエピジェネティクスをテーマに行っています。エピジェネティクスとは、「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」と定義される概念で、発生や分化等の生命の根源的な現象や、発癌に大きく関与することが知られています。このエピジェネティクス的変化が変形性関節症の病態に深く関与する事を世界に先駆けて明らかにしてきたのが、故Roach先生と東北大グループの先生方です。私の行っている研究は大きく分けて二つで、一つは変形性関節症で過剰発現している炎症性ケモカインであるインターロイキン8が種々の転写因子とDNAメチル化によってどのように制御されているかを調べる研究です。もう一つは骨形成に必須な転写因子として知られるRUNX2と軟骨破壊に関わる代表的メタロプロテアーゼMMP13の関連とそのエピジェネティクス制御を調べた研究でいずれも現在論文を投稿しているところです。

写真1 Richard教授(写真左)、May博士(写真右)とともにコーヒータイムに

私は妻と3人の子供と共に渡英しました。イギリスでは義務教育の期間が日本よりも長く、日本では幼稚園だった下の子供も含めて全員が小学校に通う事になりました。ロンドンなどの大都会と違って、サウサンプトンには日本人学校などというものはありませんから、当然現地の小学校に通う事になります。英語もほとんど出来ない状態で、突然現地校に放り込まれて最初はかなりのストレスがあったと思います。ただ、当初心配していたようないじめ等は全く無く、むしろ先生、生徒たちとその親御さんを含めて非常に温かくしていただきました。今ではお泊りに行き来するような友達もできて楽しそうにしています。子供の小学校や職場をみていると、イギリスでは「パーティ」が文化として根付いているようです。研究室のハロウィンパーティではみんな仮装で現れますし、子供の誕生パーティも会場を借りて本格的にやるのが主流のようです。また、小学校では時々夜に「ディスコ」が開催されます。アルコールの代わりにお菓子とジュースですが、日本では既に死語になっている、ミラーボールくるくるのアレのイメージそのままです。当時5歳の息子も楽しそうにディスコに出かけて行きました。ところで、「日本人がKFCをクリスマスに食べる」というのがこちらでは話題(ジョーク?)になっているようです。飲み会でも聞かれましたし、ラジオでもそんなネタをやっていました。ターキーが普通に鳥肉として普及しているこちらでは、クリスマスにわざわざチキン(しかもファストフードの)を食べるのはかなり奇妙に映るようです。余計なお世話ですが。

さて、この留学を振り返ってみると、海外にいながらも同門の先生方とのつながりを感じることができた2年間でした。2013年9月にオックスフォードで開催されたBORS(英国整形外科研究会議)という学会では、桑原先生と野呂先生が大量の陣中見舞いをもって訪れてくれました。荷物の8割は差し入れではないかというものすごい量でした。ありがとうございました。今回の留学では、研究から生活のセットアップまで様々な面で大学の橋本先生のお世話になっていますが、2014年4月にはOARSI(国際関節症研究会議)参加の際に橋本先生がサウサンプトンを訪れてくれました。研究の相談だけでなく、穴場スポットを教えてもらったり、差し入れを頂いたり色々ありがとうございました。また、6月にはロンドンでEFORT(ヨーロッパ整形災害外科学会)が開催されました。その際に、杉田先生を筆頭として、相澤先生、保坂先生、仙台日赤の山田先生、大沼先生、大学の柏葉先生、上村先生、秋先生とたくさんの同門の先生方お会いすることができました(写真2)。たくさん頂いた日本食、日本酒は今でも私のソウルフードとして活躍しています。本当に同門のありがたさを実感した2年間でした。

写真2 第15回ヨーロッパ整形災害外科学会参加の先生方と

辛いこと、嫌なことも沢山ありましたが、そういったことも含めて貴重な経験ですし、私と家族にとってこの2年間は非常に有意義なものとなっています。今は早く臨床に復帰して整形外科医として働けることを楽しみにしています。最後になりますが、私に留学の機会を与えてくれた井樋先生を始めとする同門の先生方、研究の直接的な指導をしていただいたBone and Joint Research GroupのRichard教授、May博士、慣れないサウサンプトン生活をサポートしてくれた友人達に感謝して留学報告の終わりに代えさせて頂きたいと思います。ありがとうございました。

メイヨークリニック バイオメカニクス研究所 留学

八田卓久(H14年卒)

2014年4月より、ミネソタ州ロチェスターにあるメイヨークリニックに留学させていただいています。バイオメカニクス研究所に所属し、東北大学所属時より取り組んでおりました肩関節疾患の研究を行っています。整形外科では、骨や固定金属等の強度や、腱や筋肉等の軟部組織の変性や損傷に関連した摩耗や破断など、生体力学(バイオメカニクス)は基礎研究のひとつの要となっていますが、当研究所はこれまで数多くのバイオメカニクスの研究を報告しています。研究所の扉を開くと壁一面にこれまで所属していた研究者の写真が貼られており、その歴史を物語るかのように、著名な整形外科の先生方の写真が並んでいます。留学して九ヵ月が経過した今でも、しばしば足を止めて見入ってしまいます。さらに実験室に入ると、これまで開発や研究に携わった人工関節や内固定材が壁に飾られており、その歴史と進歩を強く感じることができます。

ロチェスター市中心部にはメイヨー関連の施設が建ち並びます。左のGonda Buildingの14階に整形外科外来があります。

2014年をもって主任教授であるKai-Nan An教授が退官されるとのことで、当研究所は大きな転換期を迎えています。An教授が勤務されて39年が経ちましたが、手指や手・肘・肩関節のバイオメカニクスを確立し、特に上肢におけるバイオメカニクスの第一人者であり、肩関節分野においても様々な病態解明や治療法の確立に関する研究がなされてきました。そのような中ではありますが、現在はReverse shoulder arthroplastyの力学的特徴や腱板断裂の術前評価に関連した研究を中心に行っており、限られた留学生活の中で、少しでも結果をまとめられるように邁進していきたいと思っています。

Kai-Nan An教授と。

メイヨークリニックは、ミネソタ州南東部に位置する人口約10万人の都市であるロチェスターの中心部に、メインとなる臨床、研究、教育施設が立ち並んでいます。また、その他にもミネソタ州をはじめ、アリゾナ州フェニックスやフロリダ州ジャクソンビルなどに70以上の病院やクリニックを持っています。メイヨークリニックの理念を示す三つの盾が重なるロゴマークは各々、臨床・研究・教育を表しています。一般に大病院では優先されがちな臨床だけではなく研究や教育も重要な柱と考え、短期研究者に対しても福利厚生をはじめとして充実した環境を提供してくれています。

ライトアップされたMayo Building(左)とPlummer Building(右)。実験が遅くまで続き、帰宅が深夜になることもあります。

ロチェスターはミネソタ州第三の都市とのことですが、一言でいうと閑静な田舎町です。車で10分ほど走るとトウモロコシ畑が一面に広がり、ミシシッピ川支流であるザンブロ川沿いには大自然が続き、サイクリングやカヤック等を楽しむことができます。また、メイヨークリニック内の駐車場においても野ウサギやリスなどの動物と頻繁に遭遇します。ミネソタ州は通称「アメリカの冷蔵庫」といわれており、今年の夏は比較的涼しく快適に過ごすことができましたが、夏の終わりを感じた頃に急激に寒くなり、すでに-10℃から-20℃となっています。真冬の季節になるとさらに冷え込むとのことで少々不安ではありますが、それ以上に研究生活が楽しく有意義な日々を過ごさせていただいています。

郊外のミシシッピ川支流には大自然が広がります。
休日、同僚達と運動不足解消の為にサイクリングやカヤックに挑戦しました。

最後になりましたが、このような貴重な機会を与えてくださいました井樋栄二教授をはじめ、東北大学整形外科学教室の皆様に心より御礼申し上げます。

UCSD, Muscle Physiology 研究室 留学

奥野洋史(H13年卒)

私は2013年4月から米国カリフォルニア州サンディエゴにあるUniversity of California, San DiegoのDepartment of Orthopaedic surgeryの研究室で基礎研究を行っております.

当研究室のチーフであるRichard Lieber教授は,米国National skeletal muscle research centerのディレクターも努めており,骨格筋研究の第一人者です.骨格筋は運動器の動力として働くため,動き(運動)の評価が不可欠です.そのため,当研究室ではレーザーを当てて筋肉の収縮機能単位であるサルコメアの長さを調べる装置,筋線維を1本ずつあるいは数本まとめて取り出し筋線維(束)の弾性を調べる装置や筋肉を直接刺激して筋肉の収縮力を調べる装置などを開発し,骨格筋の生理学的機能を客観的に評価しています.さらに通常どこででも行われる組織学的評価,生化学的評価やMRIなどの画像評価を合わせることで,骨格筋の総合的評価を行っています.その他,筋サテライト細胞の単離・培養やそのノックアウトマウス作成・解析など,筋再生についての研究も行っています.

このように当研究室では骨格筋についてあらゆることが学べます.また,国内外から骨格筋の評価を依頼されることもしばしばで,宇宙を旅したマウスを評価したり,キャダバーからサンプルを入手してバイオメカニクスの研究に応用したりと,日本ではなかなかお目にかかれない研究に携わるチャンスもあります.

研究以外では,月曜日毎に朝8時半からセミナー,9時半からジャーナルクラブがあり,これらへの参加が義務付けられています.セミナーでは外部講師の招待講演や大学院生・ポスドクの研究発表が行われます.特に外部講師は当該分野の第一人者が来て,最先端の研究を紹介してくれます.続くジャーナルクラブでは事前に渡された論文について,教授から指名された人が説明します.英語がとりわけ苦手な私も指名されると英語で答えなければならず,毎週必死に論文と格闘しています.また,Lieber教授はMBA(経営学修士)でもあり,時折,MBAコースで学ぶような講義が行われます.印象に残っているのはグループ学習です.ラボのメンバーをグループに分けてディスカッションさせ,最終的に個人よりもグループが,さらにグループ間のWin-Winの関係が,より良い結果を導き出すということを体験させるものでした.こうした講義を通じて,自己を客観的に分析し,実践的な管理能力を高めるトレーニングができるのも当研究室の魅力の一つです.

サンディエゴは米国西海岸の最南端に位置し,メキシコとの国境にあります.地中海性気候のために一年中,適温で湿度も低く,雨も少ないことから,サンディエゴは米国の中で最も住みよい場所のひとつと言われます.カリフォルニア州には日本人が沢山住んでおりますが,サンディエゴも例外ではなく,多くの日本人コミュニティーがあり,日系スーパーでの日本食の買い出しや日本語での様々な手続きも可能です.ロサンゼルスにも程近く,日本人にとっても非常に住みやすい場所です.また,サンディエゴにはMLBのパドレスやNFLのチャージャーズの本拠地があり,ディズニーランド,レゴランド,サンディエゴ動物園,シーワールドといったアトラクションにも近く,さらに周辺の国立・州立公園などで大自然を満喫でき,本当に素晴らしいところだと家族共々実感しています.

【 ラボ近くのTorrey pines beachにて 】
ダイエットのために,このビーチを目指してランニングしています。
マイアミ大学 マイアミプロジェクト 留学

菅野晴夫(H11年卒)

私が2010年4月から留学させて頂いているのは、米国Florida州Miami市にあるUniversity of Miamiの医学部に附属する脊髄損傷研究機関Miami Project to Cure Paralysis(以下Miami Project)です。Miami Projectは脊髄損傷を中心としたneuroscienceの基礎および臨床研究を行っている全米最大規模の施設で、1985年に設立されました。主な設立者の一人は、アメリカンフットボールの元スーパースターNick Bounicontiという人です。彼の息子のMarcが大学時代にアメフトの試合で頚髄損傷になったことからThe Bouniconti Foundという基金を設立し、Miami Projectの資金面の多くをサポートしています。またBouniconti以外にもバスケットボール界のスーパースターMichael Jordanなどを含め、数えきれない個人・団体からの寄付がMiami Projectを支えています。中庭には、落馬事故で脊髄損傷になった、映画スーパーマンの主役クリストファー・リーブを偲んで造られた噴水があります(写真1)。

(写真1) Miami Projectの全景。学内には各分野を代表する研究者の写真が
あちこちに掲げられており、その一人としてDr. Bunge(写真、右手前)もあった。
中央には故クリストファー・リーブを偲んで造られた噴水がある。

近年のMiami Projectの研究は中枢神経損傷における低体温療法の研究と、Schwann細胞移植に関する研究が主軸になっています。特に脊髄損傷に対するSchwann細胞移植は臨床応用へ向けてFDAの承認を得るためのpre-clinical studyが大々的に行われています。私の所属するラボの責任者はProfessor Bungeで、なんと80歳代の女性です(写真2)。Dr. Bungeは、1996年に亡くなられた夫であるRichard Bungeと共に1950年代から中枢神経の病態研究の第一線で活躍し続けており、いまなおMiami Projectの中心的な研究者の一人です。すでに1950~60年代の研究でBunge夫妻は、中枢神経組織の損傷後に再髄鞘化”remyelination”が起こり得ることを病理学的に証明していました。今となっては当たり前のremyelinatonも、その当時は大多数の研究者がその事実を認めなかったとのことです。現在、Dr. Bungeの研究グループには、私を含めたポスドクが二人と大学院生が一人、その他にテクニシャンが10人程います。メンバーは皆気のいい人ばかりで、とても良い雰囲気です。Miami Projectには、その他に動物実験施設をはじめとして遺伝子や画像などの解析のために細分化された研究室があり、それぞれに専門のテクニシャンがいて研究を多面的にサポートしてくれています。またMiami Projectの研究者は、中南米諸国はもちろん、中国、ロシア、インド、ヨーロッパ諸国、西アジアなど世界各国から来た多種多様な人種のメンバーで構成されていて、米国が多民族国家であることを実感できます。今回の留学でDr. Bungeが私に提案してくれた研究テーマは、脊髄損傷へのSchwann細胞移植に神経栄養因子とコンドロイチナーゼchondroitinaseを加えて、その治療効果を調べるものでした。将来の脊髄損傷治療に役立つ有意義な結果が出ることを祈りつつ、日々奮闘努力しているところです。

(写真2) ボスのD. Bunge(中央)と、移植するSchwann細胞の準備を担当してくれたテクニシャンのYelena(左)とともに

私が留学しているマイアミ市はフロリダ半島の南端にあり、緯度的には沖縄の那覇よりやや南になります。気候は年間平均気温が25度と非常に高く、特に夏の日差しの強さは私の予想をはるかに越えていました。夕方にスコールがあるのも一つの特徴です。7月から10月はヘリケーン・シーズンで、過去に市内が壊滅状態になったことが何度かあります。また、マイアミは英語よりもスペイン語を耳にする機会が多いのも大きな特徴です。マイアミの人口の6割以上はヒスパニック系といわれています。キューバをはじめ中南米からの移民が多く、いわゆるラテン系の雰囲気をいたるところで感じることができます。総じて陽気な人柄の人が多いといえるでしょう。マイアミはキューバ料理やメキシコ料理など中南米の料理をいろいろ楽しめるのも良いところと感じています。リゾート地として有名なマイアミビーチを中心とした地域は、富裕層の所有している高層マンションや別荘がたくさんあります。一方で、ビーチから離れると治安の悪い地域が一部あるもの事実で、市内で救急医をしているドクターから聞くところによると、gunshot injuryの患者が毎日運ばれてくるとのことでした。安全な地域のみで行動している分には、あまり大きな危険を感じることはありませんが、日本との違いを感じる点の一つです。

留学には妻と息子二人(3歳と7歳)も同行しています。こちらで新しい生活を始めるにあたって苦労話は数えきれませんでしたが、マイアミや米国の良さを実感できる機会が増えてきたところです。渡米後まもなく長男がelementary schoolの1st gradeに通い始めたのですが、子供の英語の上達ぶりには本当に驚かされました。kindergartenと1st gradeでは、英語の発音の基本的学習法であるphonicsが徹底して教え込まれ、日本の英語教育との大きな違いを知ることができました。ちょっと悔しいですが、我が家では息子が一番英語の発音がキレイと言わざるを得ません。

2011年1月には、Orthopaedic Research Societyのannual meetingでの研究発表を兼ねて、小澤浩司先生、関口玲先生、中村豪先生にマイアミを訪問して頂きました。数日間の短い滞在ではありましたが、Miami Projectのラボや動物実験施設を見学して頂いたり、私のボスであるProfessor BungeやMiami Projectの最高責任者であるProfessor Dietrichとの研究に関するディスカッションがあったり、とても有意義なものとなりました。先生方とEverglades National Parkへ観光名物のalligatorを見に行ったことや(写真3)、有名なSeven Miles Bridgeを渡って米国最南端の島Key Westにあるヘミングウェイの旧家を訪問したことは、本当に思い出深いものになりました。また関口先生や中村先生が税関での没収を覚悟で、日本の各種調味料やおでんにいたるまで沢山のお土産を持ってきてくれたことは、家族一同たいへん感激しました。

(写真3) Everglades National Parkでのalligatorをみるboatツアーにて。
右から中村先生、関口先生、小澤先生、菅野。

同年の夏には、御多忙のところ貴重な時間を割いて頂き日下部隆先生に陣中見舞いに来て頂きました。その際は、私ども家族のためにホテルのお部屋まで御一緒させて頂いて、フロリダ州の有名なリゾート地Orlandoを観光することができました。御家族でのご訪問であったため、私の妻や息子達も久しぶりに日本の色々なお話が聞けてとても楽しい時間を過ごすことができました。Orlando Sea Worldで観たシャチやイルカのショーは、スケールの大きさや、エンターテイメント性の高さが、日本の水族館のものとは全く比べものにならないほどで、終始圧倒されたのが思い出されます。NASAのKennedy Space Centerでは無重力の体験コースに行き家族皆が興奮していました。フロリダの照りつける強い日射しと共に家族一同の夏の良い思い出になりました。

最後になりましたが、同門の宮武尚久先生および御家族には日本の食品や日用品、子供用の文房具、書籍にいたるまで様々なものをマイアミまで送って頂きました。この場をかりて厚く御礼申し上げます。時の経つのは早いもので、マイアミでの留学期間もあと数か月となりましたが、残された留学期間も研究およびブライベート共に有意義なものにしたいと思っています。また帰国後は、この留学で得た経験を少しでも多く役立てることができるようにして行きたいと考えております。今回の留学の機会を下さった井樋教授、小澤准教授および同門の諸先生方に、あらためて感謝申し上げます。これまでの経験を活かして更に精進していく所存ですので、今後も何卒御指導の程宜しく御願い申し上げます。

メイヨークリニック バイオメカニクス研究所 留学

近江 礼(H12年卒)

2010年4月よりミネソタ州ロチェスター市のメイヨークリニック、バイオメカニクス研究所(http://mayoresearch.mayo.edu/mayo/research/biomechanics/)にResearch Fellowとして留学中の近江礼です。

ここミネソタ州は、アメリカ合衆国中西部の北に位置し、カナダに接しています。州の東にはスペリオル湖があり、州の南北をミシシッピ川が流れています。アラスカ州を除くと、アメリカで最北端に位置するため、寒いことで有名で、「アメリカの冷蔵庫」の異名があります。

メイヨークリニックは、ミネソタ州ロチェスター市に本部を置く総合病院で、ここロチェスターのほかフロリダ州ジャクソンビルとアリゾナ州スコッツデールにも分院があります。メイヨークリニックは常に全米で最も優れた病院のひとつに数えられているため、過去にメイヨークリニックで診療を受けた患者にはアメリカ合衆国の歴代大統領やヨルダン国王をはじめ、各界のVIPが名を連ねています。整形外科の臨床部門には、50人以上の常勤医が所属し、それに加えほぼ同じ数の研修医が働いています。つまりここロチェスターの本院だけでも、100人以上の整形外科医が働いているので、その規模の大きさが容易に想像つくと思います。

また基礎部門に関しては、整形外科に関連する研究を行っている研究室が敷地内にいくつかあります。私が所属する研究室はその一つで、その名の通り、biomechanicsに関連する研究を主に行っており、全米および世界各地から、整形外科医や学生が集まってきます。研究室の職員以外に、常に10人以上の大学院生や研究員が所属しています。研究内容によって、手の外科グループ、肩肘グループ、脊椎グループ、股関節グループと大きく分かれており、本研究室のAn教授は、いずれのグループにも関与し、その内容を監督します。またそれぞれのグループには、必ず臨床部門の教授も加わり臨床的な内容を監督しており、臨床への関連性の高い研究が行われています。

私は、肩肘グループに所属し、その分野の臨床医として世界的にも有名な、 Steinmann教授とSperling教授の指導の下で、肩や肘のbiomechanicsに関する研究を行っています。内容は、主に新鮮死体標本を用いて、筋力などの関節にかかる力や動きを人工的に加え、生体に近い状態を再現し、関節の安定性、圧、可動域などを計測するというものです。メイヨークリニックでは新鮮死体標本を用いた研究を行う環境が非常に整っています。

こちらでの生活を楽しみつつ、充実した研究留学生活を送ることができればと考えております。

写真1
Mayo Clinic Gonda Building のロビー。
正面玄関を入ると、高級ホテルを思わせるロビーが広がる。
この建物は主に外来診療および外来手術棟として使用されている。
写真2
Mayo Clinic Gonda Building前の中庭より。
Mayo Clinicの創設者、メイヨー兄弟の像とGonda Building。